北鎌倉は梅雨の季節が良い。小糠雨に濡れて、新緑と紫陽花のコントラストが一段と映える。
駅を降り、明月川の暗渠に沿って鎌倉街道を歩くと、程なく東慶寺門前に出る。十数年振りに訪れた所為だろうか、鮮明な記憶はない。茅葺の山門を正面に見た境内の左右には、洒落た古民家風のカフェやギャラリーが並ぶ。
遡ること1世紀、夏目漱石は友人二人と此の参道を歩いていた。大正元年9月11日、翌々日に明治天皇の大葬儀を控え、何とはなしに陰鬱な雨の日であったらしい。この時の様子が、「初秋の一日」と題するエッセイに書かれている。当時は山門前に稲田が有った様で、友人のO(満鉄総裁の中村是公)が立小便をしたので、漱石も顰(ひん)に倣ったと有る。文豪だけに巧い言い回しだが、要は連れションをした訳だ。
参詣の用向きは、東慶寺住職釈宗演との20年振りの再会にあった。 漱石は20代後半に神経衰弱を患い、円覚寺で参禅をしたことが有る。この時に禅の指導をしたのが管長の宗演で、これを題材に書かれたのが小説「門」だ。主人公宗助は親友安井に対する不義理から、永らく心に蟠りを持っていた。これを解すべく円覚寺で参禅修行に励むが、この一節は漱石自身の体験に基ずいている。
東慶寺境内の伽藍配置には、鎌倉の随所に見られる谷戸の地形が上手く活かされている。山裾左方には多くの文化人が眠る墓所がある。ありふれた長尺の墓石は少なく、小振りだが個々に特徴あるモニュメントが並ぶ。何れの花筒にも墓参直後と見紛う様な、瑞々しい生花が供えられている。静寂の中にも華やぎがある空間で飽きない。
一角には、鈴木大拙・西田幾多郎・安宅弥吉の墓石が、御近所の如き佇まいで並ぶ。言わずと知れた哲学者・経済人だが、金沢の第四高等中学校の同窓生で友人と言う共通項がある。釈宗演は海外に禅(ZEN)を広めた傑僧で、彼に師事し通訳として支えたのが鈴木大拙であった。因みに大拙は宗演から与えられた居士号で、”大巧は拙なるに似たり”と言う意味だそうである。