先日ゴルフの最中に、加齢に関する面白い話を聞いた。同伴者はサラリーマン時代の同期で、超が付くほど富裕層の元慶応ボーイ。話の前後は忘れたが、自宅トイレでは座って小用を足すと言う。HC12の腕前なので打球の飛距離・方向性共に問題はない筈だが、放尿時に想定外のシャンクが出るらしい。シャンクはいけない。スコアを乱す元凶だ。情けない奴だと大笑いしたが、実は愚生も内心思い当たる節がある。
車の運転が少なからず下手になった。運動神経の経年劣化と攻撃性の鎮静化で慎重になったのは良いが、意図せず愛車の擦り傷が続く。デイーラーに持ち込めば簡単に直して呉れるが、自分で数ミリ筆ペンを塗るとなれば難しい。ハズキルーペでもなければ良く見えない。無論その様なものは持っていない。
脳の海馬が摩耗したらしく、人の名前や地名が出て来るのに時間が掛かる。偶然街で会った相手の名前が浮かばず、立ち往生したこともある。嫁さんとの会話は、「あれ」と「これ」の連発だ。以心伝心で意思疎通には何ら支障がない。不都合がないゆえ改めないの悪循環で、生理学的には宜しくない。
ところが年を取って良いこともある。余り物事に執着しなくなった。不必要にあれこれ悩むこともない。些事に鈍感であれば、気持ちは楽になる。
友人に医者がいる。医者の家系の秀才だが、随筆にこう書いていた。年少の頃、人は何れ死ぬと考えると怖くて仕方がなかった。ところが年を取るに連れ、そうした恐怖心が薄らいできた。医業に携わったからとか、宗教や哲学に目覚めたからと言うことではない。単に年を取ったことに因る自然の摂理だと思う。
愚生にも似た様な記憶がある。自然界は実に巧く出来ている様だ。