古の平安京大内裏は京都御所の西方、丁度二条城の北側辺りにあった様です。現在は狭い路地に町家が立ち並ぶ庶民的な佇まいになっており、曾てここが宮中であったことなど偲ぶ縁もありません。僅かに民家の軒先に平安京内裏弘徽殿跡と書かれた石碑が立っているのでそれと分かる程度です。往時の平安京は大内裏から真南に向かって幅70mの朱雀大路が走り、南詰の九条大路と交わる地点に芥川の小説で名高い羅城門、これを挟んで東西に東寺(教王護国寺)と西寺が建てられていました。東寺の講堂にある立体曼荼羅については次回のブログでご紹介することと致します。
神泉苑は平安遷都と略同時期に、大内裏の東南隅に隣接して造営された禁苑です。清水が湧出する池を中心とする3万五千坪もの広大な庭園で、屡々天皇や廷臣による雅宴が催されましiた。平安初期の大干ばつの折、勅命により東寺の空海と西寺の守敏との間で祈雨の法力が競われ、空海がこれに勝利したことで以降真言宗密教による雨乞いや怨霊鎮の儀式が盛んに行われる様になりました。これに纏わる有名な話としては、寿永元年(1182年)の雨乞い儀式に集められた白拍子の中に静御前がいて、神社仏閣の治安維持を任されていた源義経が見初めて堀川館に呼び寄せたのが両者の出会いとの伝承が残されています。
鎌倉時代の大内裏火災による御所の東方移転を契機に、急速に寂れて行きますが取分け致命傷となったのが徳川家康による二条城の造営で、敷地の過半が接収されたため著しく規模の縮小を余儀なくされました。この様な故事来歴を思い起こし改めて狭い園内を見渡すと、諸行無常を感じずにはいられません。
最後に神泉苑の近くにチロルと言う小さな喫茶店があります。ご夫婦と娘さんの3人でやって居られる昔ながらの雰囲気の良いお店で、近頃人気のナポリタンやサンドイッチが手軽な値段で食べられます。