■ 猛暑を逃れ蓼科で夏休み 多数決原理の功罪を考える

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相続税の申告作業から解放され、東京の猛暑を逃れて蓼科へやってきた。
この辺りには殆ど馴染みがないが、訪問そのものは初めてではない。大分以前のことになるが蓼科Gホテルに泊まったことがある。上皇夫妻が皇太子時代に数度ご宿泊され、夕食の飛龍頭が頗るお気に召されたとの伝聞がある。少なからず期待したが、案に相違してそれ程でもなかった様に思う。その折に偶々工事か何かで宿自慢の露天風呂に浸かり損ねたので、今回は立ち寄り湯で利用させて頂いた。フロントや客層が何処となく大衆化した印象を受けたが、変わったのは寧ろ此方の方かも知れない。誤解の無きよう申し上げるが、蓼科Gホテルは人気の高い施設である。愚生が長らく抱いていた印象とは少し違っただけの話だ。
今回は東急Gのリゾートホテルに宿泊した。蓼科高原も日中の日向は流石に暑いが、朝晩ともなれば涼しい。写真でお分かりの通り、ベランダから唐松池を目掛けて緩やかに芝生の傾斜が続く。白樺の木間に無造作に於かれたベンチは、読書や昼寝には持って来いだ。これに憧れて遥々蓼科へやってきた。今回の休暇には岩波文庫「荘子三巻」と講談社文庫「昭和の戦争」を持参した。前者は日本が長く政治・宗教・文化のお手本とした中国の人々が何故に悪評芬々のインバウンド外人に変容したのか、後者は凡そ勝ち目のない太平洋戦争に突入した日本人の特質とは何かを考察したかったからだ。
このところの、兵庫県知事選挙・伊東市長選挙・参議院選挙での自国第一主義義の蔓延などを見るにつけ、多数決原理に基づく民主主義の功罪を考えずには居られない。

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