土用の丑の日には少し早いが、有酸素運動を兼ね徒歩で目黒不動の”八つ目やにしむら”へ出掛けた。目黒通りを北上し、油面交差点から東に切れ込むと、程なく元競馬場の外周道路に出る。1933年に府中へ移転したが、往時の馬場が住宅道路として放物線状に遺っている。下目黒4丁目辺りの高級住宅街の一画がそうだ。将に強者どもが夢の跡で、感慨深い。ダービーデ-の掉尾を飾る重賞レース目黒記念は、これに由来しているそうだ。
西村は老舗の鰻専門店だが、名前の通りただの鰻屋ではない。注文すれば、ヤツメウナギの蒲焼が出て来る。但し仕入の加減で、何時でもと言う訳には行かない様だ。勿論小職は、ヤツメウナギを食する度胸はない。一般的なうな重を頼んだが、少し濃い目のタレが美味い。対照的に肝吸いは薄味で、全体のバランスが良い。女将の客あしらいも自然体で外連味がない。2月にアド街ック天国で、地元の名店として紹介されたそうだが、然もありなん。
目黒不動の正式名称は、泰叡山龍泉寺である。不動明王を本尊とする天台宗の古刹で、寺内には二・二六事件に連座し処刑された北一輝の顕彰碑や、東京裁判で東条英機の頭を叩き狂気を装ったと言われる大川周明の墓などがある。
正面仁王門前の一角に、元鳥取藩士平井権八と吉原の遊女小紫を弔った比翼塚がある。権八は郷里で人を殺めて江戸に逐電し、吉原での遊興費欲しさに辻切り強盗を重ねた重罪人だ。後に改心して自首したが、鈴ヶ森で処刑された。小紫は吉原を抜け出し、権八の墓前で後追い自殺をした。二人を憐れみ、建てられたのが比翼塚だ。これを脚色し、狂言芝居に仕立てたのが鶴屋南北で、演目は ”御存鈴ヶ森(ごぞんじすずがもり)” である。
鈴ヶ森での、若侍白井権八と侠客幡随員長兵衛との出会いがモチーフで、短い一幕物の芝居だが数々の名台詞で知られている。”(長兵衛)お若けえの、待たっせえやし”と”(権八)待てと御止めなされしは、拙者がことでござるかな” の掛け合いを知らぬ人は少なかろう。剣の腕を褒める長兵衛に、”雉も鳴かずば討たれまいに、故なき殺生致してござる”と、権八がやや誇らしげに応ずる件も有名だ。