72気候で言えば雷乃発声(雷すなわち声を発す)の頃、3か月に亙る確定申告業務を終え天城高原を訪れた。朝方箱根の宿を出たときは、季節外れの冷たい風が吹き荒んでいた。夜来の雨で地盤が緩み、加えて高原特有の靄で視界が悪いため、湯河原へ下り海沿いの国道を伊東へ向かった。此処までは凡その土地勘があるが、天城山となるとそうは行かない。天城隧道や浄蓮の滝など演歌で耳にする地名が断片的に浮かぶのみで、全体として結像しない。ナビを頼りに只管山道を登ること小一時間、突然視界が開け北西に富士、東西に相模湾と駿河湾を望む尾根道に出た。今宵のホテルは平坦地に建つ中層階の瀟洒な建物で、部屋に入るや否やベランダから富士の威容が目に飛び込む。山麓に見えるのは裾野や三島の街であろうか。神々しいばかりの富士の姿に圧倒され言葉にならない。夜半の湯殿の遥か彼方で朧げに街灯りが揺らめく。その後を巨鳥が両翼で覆うが如く富士が被さる。熱めの湯に浸かりながら、今年の確定申告のあれこれを回顧する。
個人顧客からの相談内容と金額規模がここ数年で明らかに変わった。クロスボーダー型と呼ばれる日米間の税務に関する申告・相談が増加し、大型化・複雑化に因り一層慎重な対応が求められる様になった。バブルであろうか、申告金額が億円単位のものも珍しくない。例えば米国在住期間が長くgreen card(永住権)を保有されている方で、日本に帰国後60歳になってtradional IRAと呼ばれる米国個人型年金の支給が開始されたとする。日本の確定申告を如何すれば良いのか分からないと言う事案だ。近くの税理士に相談したがこの辺りに詳しくない様で、年金で受け取れば雑所得、一時金で受け取れば一時所得との通り一遍の回答しか返ってこない。これ以外の説明や米国側申告についてのアドバイスは全くない。確かに日本の税制だけを考えればこれで良いかもしれない。税務署からの異議もなかろう。但しこれでは顧客に不必要な税負担が生じることになる。日米租税条約では、年金所得については居住地国課税の原則が定められて居り、所定の手続きを踏めば米国では課税されないことになっている。この辺りを知らず手続きを失念して米国で連邦所得税が源泉徴収されると日本では外国税額控除の適用が受けられない。結果として二重課税が発生する。この場合は米国で還付申告を行う他に手立てがない。この様にクロスボーダー型の税務では、日本の税制・米国の税制・日米租税条約に関する理解とチエックが欠かせず、回答には相応の手間とリスクが伴う。中途半端なWEB情報などを基に当方の都合お構いなしに訊いて来られる方も居られるが、この辺りの事情をご理解頂けぬ場合はお断りすることになる。
もう一つの問題は、海外転出の際に法で定められた特定口座廃止手続きを取らなかったことに起因する問題である。制度の仕組みを理解せずに失念された方が殆どだが、中には使い勝手を考えてわざと廃止されない方も居られる。多くは源泉徴収有り口座を選択されて居られるので、株式売却益の15.315%相当の所得税と5%の住民税が課される。ところが日本の所得税法と多くの租税条約では、非居住者の売買利益は非課税と定めている。言わずもがな非居住者に住民税は課されない。後からこれを知り税金の還付を受けようとするが簡単ではない。このケースで還付請求が出来るのは源泉徴収義務者たる証券会社だが、多くは約款等で非協力を明示している。相手にされず途方に暮れて当事務所に泣付いて来られる方が多い。当事務所でもcase by caseで対応しているが、還付が受けられる場合と受けられない場合がある。とにかくは納税者側に落ち度があるため手間が掛る。
中国籍で日本の永住権を保有されている方からの、上海等に保有するマンションの売却益に関するご相談が相変わらず多い。適正な確定申告をご依頼される方ばかりではない。明らかに税金を払う意思がない方が過半だ。中国では満5年・家庭唯一・普通住房の条件を満たせば、住宅売却益に係る個人所得税や土地増値税が減免除される。中国で課税されないのになぜ日本で課税されるのかと言うのが納税拒否の言い分らしい。税務当局も海外不動産取引の把握は難しく、加えて資金を日本に取り寄せなければ露見し難いとの情報が遍く知られている。甚だしきは税務署から申告漏れの指摘を受け、慌てて確定申告の依頼をして来られた方さえある。当事務所がこの種の不正行為に繋がる質問や相談を受けることはないのでご理解頂きたい。
愚生は長いサラリーマン経験を有するが、個人事務所を開いて以降お客様の身勝手な振る舞いに戸惑うことも多い。その様なときは、荘子の著作(全33編)をヒントにする。幣事務所の営業の基本方針は、不将不迎応而不蔵(おくらずむかえず、おうじておさめず)である。サラリーマン時代に社長年頭訓示で感銘を受けた言葉だが、以来座右の銘にしている。本来の意味とは異なる様だが、自分なりの解釈で咀嚼している。確か社長は、大漢和辞典を編纂した諸橋轍次博士のご子息であったと記憶しているが、三菱には稀有な江戸っ子気質丸出しの方であった。
(日本経済新聞の参考記事)
岸田文雄首相は令和6年5月15日開催の衆議院法務委員会で、永住者が税などの納付を故意に怠った場合に永住許可を取り消す新たな措置に関して「定着性に配慮して慎重に検討する」と述べた。