大正11年10月20日、若山牧水は未明に起きてランプの下で朝食をとり、未だ薄暗いなか花敷温泉を出発した。路傍には昨夜の雪がまばらに残っている。
「かみつけと越後の国のさかひなる峰の高きに雪降りにけり」
峠をこえて沢渡温泉に着き、ここから四万へ廻るか伊香保へ出るか迷った挙句に四万温泉へ向かう。
“私は此処で順序として四万温泉のことを書かねばならぬことを不快に思ふ”、みなかみ紀行で有名な件が始まる。
馬車を降りた牧水一行を、迎えたのはT旅館の男衆であった。一泊と聞くや途端に存在な態度に豹変し、傍らの小僧に粗末な部屋へ案内させる。またこの小僧が痴れ者で、料理の前金を要求し温厚な牧水の怒りを増幅させる。
“旅と言えば楽しいもの有難いものと思い込んでいる私は、出来るだけその心を味わいたいため、不自由の中から多少の心づけを渡さずに出たことはないのだが・・・”
滅多に怒りを露わにしない牧水だが、流石に腹に据えかねた様だ。
牧水が訪れた幾多の温泉旅館のHPには、こぞって彼との関わりについての記事が誇らしげに掲載されているが、流石にT旅館のそれには見当たらない。已んぬる哉である。
今回私たちは、四万やまぐち館で宿泊した。南無妙法蓮華経と刻まれた大岩の露店風呂や、湯治場の風情が漂う薬師の湯で評判の宿だが、就中名物女将のパ-フォーマンスは特筆ものだ。評論家の桜井良子さん似で、如何にも賢そうな美人だが、兎に角そのサービス精神には圧倒される。温泉旅館は湯と料理、そして客へのもてなしが全てだ。やまぐち館にはリピーターが多いのも頷ける。