鳥打帽にお気に入りのマントを羽織り、尻っぱしょりの股引・脚絆姿で、さすらいの詩人若山牧水は沼津の自宅を出発して信州の佐久に向かう。大正11年10月14日の早朝、名作「みなかみ紀行」の始まりだ。旅の主目的は、佐久新聞社主催の短歌会への出席であったが、歌会終了後も彼を慕う同好の士が何人も附いてくる。
牧水の面目躍如たる逸話で、とにかく人に好まれる性格だったらしい。淋しがりやで、酒と旅と人間が大好き、もちろん家族は言うまでもない。半世紀も離れた先人だが、こう言った友が居ればと思うこと頻りである。
一行は嬬恋経由で草津温泉に向かう。当時もバス便はあったが、一歩間違えば谷底に転落すると言う険しい急坂で、随分肝を冷やした様だ。当時の草津は所謂湯治場である。隊長の号令下30秒刻みで熱湯に浸かるが、皮膚が爛れるほどの苦行だったらしい。
“たぎり湧く出湯のたぎり鎮めむと病人(やまうど)集い揉めりその湯を”
この時牧水が泊まった宿は、湯畑傍の一井旅館である。現在もホテル一井として盛業している。今回は残念ながら予約が取れなかったが、薄雪に覆われた初冬の草津は格別である。