コロナ騒ぎも漸く終息の兆しが見えつつある晩秋の或る日、体内に潜む温泉虫の囁きに抗えず1年ぶりの温泉旅行に出掛けることにした。行く先は上州宝川温泉。奥利根の山間部は程なく雪に閉ざされるため、決行は今しかない。
「みなかみ紀行」を読むと、若山牧水は大正7年秋にこの地を訪れている。沼田から武尊山麓を利根川沿いに北上すると、やがて湯檜曽(ゆびそ)に辿り着く。道路はここで谷川岳方面と藤原郷方面に分れる。こよなく川の源流を愛した牧水は藤原郷を目指したが、遠く真白妙に輝く山並みを見て心細くなり旅の継続を断念する。“”いつかお前の方まで分け入るぞよと、輝き渡る藤原郷の奥山を望んで思った“” と無念さが綴ってある。牧水はこの4年後にみなかみを再訪しているが、終に藤原郷に辿り着くことはなかった。
宝川温泉は藤原郷より更に先の利根川支流の渓谷沿いにある。山奥の温泉とて宿は汪泉閣一軒しかない。映画の舞台になったこともあり、インバウンド需要で訪れる人は多い。宝川の清流を臨む470畳の露天風呂はさすがに広く、混浴なので湯浴み着を纏った善男善女が思い思いに沐浴する。宝川の両岸には山の端がせまり、直角に近い上空開口部には夕刻の白い月が浮かぶ。熱め温めと好みの湯温を探して、湯舟をあちこち動くのも童心に帰った心地にて愉しい。何も喋らず嫁とぼんやり過ごす一時は格別である。
貧乏性とて1日3度は湯に浸かる。夜半に大露天風呂を目指すと、従業員が熊除けに鈴の付いた杖を持って行けと言う。一瞬怯んだが、ままよと杖を持たず対岸への橋を渡る。川面から冷たい風が吹き抜け、浴衣一枚の身には寒い。昼間とは打って変わり湯殿に人影はまばらだ。暗闇から熊が出てくるのではないかとの不安に襲われ、ゆっくり温まる余裕とてなく早々に退散する。
温泉旅行の楽しみの一つは、仕事以外の本がゆっくり読めることだ。今回はエッセイストの渡部昇一が書いた「昭和史の真実」を持参した。我々は幸運にも戦争がない時代を過ごしたが、子や孫にその保証はない。万一起きた場合に、相当酷いことになるのは間違いない。何故勝ち目のない連合国との戦争に突入したのか、本当に勝てると思っていたのか。戦争犯罪人の一人は後に “”国民の頭は灰色なので、白と言えば白、黒と言えば黒として従いてくる“と発言している。ナチスの宣伝相ゲッペルスもプロパガンダの本質を同様に捉えていたらしい。若しこれが人間が持つ普遍的な真理で有るならば、愚の歴史は繰り返されることになる。この辺りの集団心理や時代背景が知りたくて読んでいる。