京都・嵯峨野

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初冬の嵯峨野は粉雪が舞う厳しい寒さでした。毎年この時期に京都を訪れますが、今回の皮切りは二尊院。そうです。JR東海「そうだ!京都行こう」の2012年バージョンとして一躍脚光を浴びた、紅葉の馬場で知られるあの古刹です。創建は9世紀、嵯峨天皇の勅願により慈覚大師が開山したもので、近世に至るまで朝廷や摂関家との深い関わりを持って来ました。山中には、藤原定家が小倉百人一首を選定した場所とされる時雨亭跡があります。

嵐山の麓を南方に緩やかに下った辺りが、世界遺産に指定されている臨済宗天龍寺派の総本山天龍寺です。二尊院と略同時期に嵯峨天皇の后である橘嘉智子が創建した禅寺で、亀山上皇が仮御所として使用した時期もあります。一般に知られているのは、14世紀中ごろ足利尊氏が対立した後醍醐天皇の菩提を弔うために開基となり、夢窓疎石をして開山させたとの由来で、この造営費用に充てるために途絶えていた元との交易を復活させたのが天龍寺船の始まりです。創建には尊氏の弟で後に暗殺される足利直義も関っていますが、そもそも鎌倉幕府の開闢から足利幕府の興亡に至るまで、子殺し・兄弟殺し・下剋上等々凄まじいまでの人間関係で、現代の価値観・倫理観を以てしては良く理解できない時代背景が多々あります。特に足利尊氏については毀誉褒貶相半ばしており、戦前の皇国史観によれば、新田義貞・楠正成は忠臣、足利尊氏は逆臣との定説ですが、神皇正統記を表した北畠親房の足利尊氏に対する評価はやや違うものの様です。この辺りは、平家物語と並ぶ軍記物とされる太平記を読めば面白いのですが、本来の美術鑑賞に話を戻したいと思います。

境内の正面には法堂があります。元々の建物は、幕末蛤御門の変に際して長州軍の陣営となり、伽藍は戦火により全て消失しました。現在の建物は明治32年に再建されたものですが、天井には加山又造画伯の遺作となった雲竜図が描かれています。10M近い円の中に躍動する見事な龍で、堂内のどこから見ても龍の目線と会うため八方睨みの龍と言われています。

その奥の大方丈に面した庭が、夢窓疎石の作と言われる曹源地庭園です。方丈の正面に位置する2枚の巨岩が龍門の滝で、中国の登竜門の古事に準えたものと言われています。大堰川を隔てた嵐山や西側の亀山を取り込んだ借景式庭園で、遥か彼方の山裾まで続いているかの如き錯覚を覚えます。

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