京都 智積院

Print Friendly, PDF & Email

初冬の京都です。このところの急激な冷え込みで、紅葉がくすんだ茶から一気に鮮やかな朱に変化しました。写真は豊臣秀吉の妻ねね由の、高台寺境内でのスナップです。12月4日はライトアップの最終日とあって善男善女が押し掛け、大層な賑わいとなりました。

今回は高台寺と同じ東山にある真言宗智山派の総本山智積院のご紹介です。智積院の塔頭や土地は、元々秀吉が早逝した愛児鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲禅寺の所領でした。これを徳川家康が、大阪夏の陣の後に秀吉により滅ぼされた根来寺智積院に寄進したもので、豊国神社の一部も割譲された様です。古今東西を問わず、権力の凄さと人の怨念の深さには、驚嘆せざるを得ません。

智積院(祥雲禅寺)には、秀吉の命により長谷川等伯一門が描いた障壁画があります。内4枚が国宝に指定されていますが、中でも桜図を描いた楓図が圧巻です。嫡男久蔵の死の翌年、失意の中で久蔵の作品の隣に描いたと言われています。 金地の画面中央に楓の太い幹と左右に力強く伸びる枝が配置され、根元には萩や菊などの秋草が爛漫と咲き乱れています。画面奥には藍色の水面が広がり、色彩の調和と立体感を齎しています。大和絵にしては珍しく動的で、恰も等伯の哀惜の念を振り払うが如き想いが伝わって来る先品です。

多事多難の2011年も後僅かで新年を迎えます。こう言う年は二度と有って欲しくない。そう願って止みません。ところで皆さん初詣は、成田山新勝寺・川崎大師平間寺・高尾山薬王院などに参詣される方が多い 様ですが、何れも真言宗智山派の寺院です。真言宗は弘法大師空海が宗祖で、当時は京都の教王護国寺(東寺)や高野山金剛峯寺が根本道場でした。ところが12世紀に、新義真言宗を唱える宗派が本寺高野山と対立して新たに紀州根来山に大伝法院を建立。これが真言宗智山派の始まりです。最盛期には住侶6千人を擁し、所領も70万石を超えて政治経済共に大勢力となりましたが、天正年間に時の権力者秀吉と厳しく対立、全山焼打ちに有った以降の顛末は先述の通りです。その後も真言宗各派は分裂を繰り返して、現在では16派18本山に分かれています。因みに智山派と対峙する金剛峯寺側は古義派と呼ばれています。宗教界であっても財と権力が集まる所では、常に対立抗争や派閥活動が付き纏うものの様です。

関連記事: