■ 会津古刹巡り

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猛暑の東京を離れ会津若松に来ている。心待ちにしていた旅だ。この処、妙に二拠点生活や地方への移住に心惹かれる。言わずもがな簡単ではない。せめて同じ宿に逗留し、これを根城にエリア探索をすることにした。コロナ禍でリモートワーク環境が整備されたこともあり、Wi-Fiさえ繋がれば何とかなる。
会津若松は四方を山に囲まれた盆地だ。日中は東京と然程変わらず暑いが、夜間は遥かに凌ぎ易い。更に裏磐梯に登れば別天地となる。麓との気温差が4-5度あり、露天風呂に浸かれば湯面を吹き抜ける風で肌寒い程だ。
無為に過ごせば一週間など瞬く間に過ぎて仕舞う。幾つかのテーマを決め順繰りに行動することにして、今日は会津古刹巡りの旅に出かけた。
瑠璃光山勝常寺は、湯川村の田園地帯に伽藍を構える小規模な真言宗の寺だ。これまで耳にしたことさえない。ところが豈図らんや東北地方で初めて国宝に指定された仏像が三体あるという。薬師如来と脇侍の日光菩薩・月光菩薩の薬師三尊だ。この他にも重文指定の四天王立像や聖観音菩薩立像など平安初期に造立された仏像が9体あり、総数では30体を超えると言う。残念ながら何れも非公開で、今回の参詣では目にすることができなかった。已む無く地元の図書館で藤森武氏の写真集を閲覧したが、脇侍の日光・月光菩薩は柔和な表情で大腿部に張りがあり妖艶にさえ感じられる。これに対し薬師三尊を守護する四天王像は、憤怒の形相と誇張された体躯で、威圧する如く周囲を睨む。どことなく京都東寺講堂の四天王を彷彿させるが、全体に粗削りで顔付も素朴だ。無信心で他力本願の凡俗ではあるが、愚生も実仏を拝観したい。諸々の事情は有ろうが、何とか常時公開をお願い出来ぬだろうか。
金塔山恵隆寺は会津坂下(ばんげ)に在る、会津ころり三観音として知られる真言宗の寺だ。会津には古より三十三観音参詣の風習がある。若い母親が赤ん坊を背負い、着ゴザを持ち、山坂を上り下りする姿が日常的に見られたと言う。女性が主婦の座に就くには、広く社会を見分し、会津を悉く知る必要があるとの教えに依るものだが、寧ろ貴重な行楽機会を与えたのではないかと勝手に解釈する。庶民信仰の寺らしく、観音堂は茅葺の素朴な建物だ。蔵置された千手観音と共に国の重文指定を受けている。狭い堂内に入ると身の丈7M余の本尊十一面千手観音像が聳え立ち、これを脇侍の二十八部衆と風神雷神が囲む。圧倒的な迫力だ。苦しまずに極楽往生するための抱きつき柱があったので、有難くご利益に預かることにした。
霊巌山円蔵寺は、柳津町にある臨済宗妙心寺派の寺だ。臨済宗の寺らしく広大な敷地で、眼下に只見川を一望する絶景の岩盤の上に本堂が築かれている。本尊の福満虚空蔵菩薩は虚空の如く無限の知恵を持つ菩薩で、丑歳・寅歳生れの守り本尊とされる。境内には何故か何頭もの牛が寝そべっている。大凡聖域には不釣り合いな光景で意図が理解できなかったが、伝承に依れば虚空蔵尊堂再建の難工事に活躍した赤牛を因んで造作したものらしい。会津の郷土玩具「赤べこ」の由来が分かったことで、孫娘への土産が一つ増えた。

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