■信州 蓼科と安曇野のアート巡り

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晩秋と師走の端境の週末、例の温泉虫が蠢き出す。性質の悪い奴で、大家の都合などお構い無しに出没する。さりとてこの時期、直前に人気宿の予約が取れるほど世の中甘くはない。何とか好みと値段に折り合いを付け、蓼科と松本に寝床を確保する。ただ湯に浸かり美味い物を喰うだけでは芸がないゆえ、場所柄からアート巡りを兼ねることにした。
御射鹿(みしゃが)池は奥蓼温泉郷に通じる街道沿いの山中にひっそりと佇む。東山魁夷画伯が描いた「緑響く」のモデルになった場所だ。晩秋の夕刻、湖畔を肌寒い風が吹き抜ける。人影は殆んどない。真直ぐ伸びた白樺やカラマツが水面に映え、淡緑色のシンメトリックを成す。凡庸の身には疾走する白馬など見えよう筈もないが、眼を閉じ心象で幽玄を愉しむことは出来る。折しも国立新美術館では唐招提寺襖絵展が開かれているが、観覧機会を失したのが残念だ。
八ヶ岳山麓にある尖石考古館には多くの縄文土器が展示されている。棚畑遺跡から発掘された土偶(縄文のビーナス)は高さ27cmの小品だが、極端にデフォルメされた腰と尻、そして太い脚でしっかりと全身を支える造形が斬新だ。4千年前を生きた女性が、時空を超え身近に感じられる。古今を問わず、美術の才能のある人は居るものだ。
蓼科温泉から北上し、別所温泉を経由して松本に入ることにした。別所温泉は古くからの湯治場で霊場が多い。その一つが安楽寺で、鎌倉時代に創建された曹洞宗の名刹だ。境内の八角三重塔は国宝に指定されている。禅宗寺院のご多分に漏れず、安楽寺も大規模な伽藍と庭園を擁する。昼なお暗い杉木立の坂道を上ると、八角三重塔に辿り着く。中国渡来の禅宗様式で建てられた塔だが、窓がないため中を覗うことができない。堂内には金色の仏様が祭られている由である。
松本・安曇野エリアには美術館が多い。とても廻りきれぬので観覧を絞ったが、その一つが高橋節郎美術館だ。高橋氏は文化勲章を受章した安曇野出身の漆工芸家で、伝統的な食器や蒔絵よりも寧ろ立体沈金やパネルなど現代アートの作者として知られる。沈金は漆の黒面に刀で複雑な文様を刻み、金粉で線や面を描く装飾技法だ。手の混んだ細密な図柄が多く、輪島塗を連想すれば分かり易い。同氏が得意とする立体沈金は趣を異にし、漆黒の台板に大胆な意匠と色使いの金属製オブジェを組み合わせたもので、近代的なビルのエントランス等に飾ると映える作品が多い。身の程知らずにも購買欲をそそられるが、到底手が出せる価格ではなかろう。そもそも売り物がない。美術館は頗る付の立派な近代建築で、中庭には数十本に枝分かれした橙色の赤松の巨木が聳える。
旅には美味いものが欠かせないが、今回は上諏訪の”うなぎ松倉”をご紹介したい。家族経営の小振りな店だが、美人母娘の客あしらいが良い。味の方は言わずもがなだ。駐車場には県外ナンバーが目立つ。注文して待つこと30分、二段の重箱が運ばれて来るので一瞬うな重を頼んだ筈だがと当惑する。焦る必要などない。実は銀シャリの中にも蒲焼が埋まっている。うなぎ好きには厳しい状況が続くが、贅沢な量を堪能できる稀有な店である。

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