■ 京都 河井寛次郎記念館・京都迎賓館

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10月中旬の京都は紅葉には少し早かった様だが、高尾山神護寺への参詣道に架かる高雄橋で深紅の楓を眼にした。山全体から見ればほんの僅かだが、期待していなかっただけに僥倖であった。
神護寺は京都西北部の三尾と呼ばれる山合に建つ真言宗の古刹である。弘法大師空海は唐より帰朝後の14年間を高尾山納涼房で過ごした。当時の様子を性霊集にこう記している。「雲蒸して谷浅きに似たり、雷渡りて空地の如し(納涼房から前方を見渡すと谷間から雲が沸き上がり渓谷を覆っている、空には雷が鳴り渡り恰も平地の様だ)」参詣には急勾配の石段を20分程登坂しなければならない。覚悟はしていたがきつい。何とか登り切って金堂で息を整えつつ国宝薬師如来像を拝観していると、寺男の方が ”山奥までの参詣ご苦労様です。折角ですから宜しければ前方に廻ってご覧下さい”と仰る。有難く至近距離でご尊顔を拝した。何気ない一言が旅の楽しさを倍増させる。2022年「そうだ 京都行こう」は高尾紅葉散歩だそうな。これからが見頃なのでお薦めしたい。
京都を訪れた際は、東寺の講堂に参詣することが多い。弘法大師の密教の教えを表現した21躯の仏像が立体曼荼羅の形で安置されている。両脇の6体の中心が仏法守護神たる帝釈天と梵天で、これを守る形で四天王が囲む。帝釈天は興福寺の阿修羅と双璧の美男で、我が嫁さんを初め女性フアンが多いと聞く。愚生は増長天が好みだ。平安時代の仏像彫刻には秀作が多い。増長天は南方世界を守護する神で、赤色の身に甲冑を纏い右手に鉾、左手に剣を持つ憤怒形相の武将だ。足下に邪鬼を踏みつけ周囲を威圧する凄まじいばかりの迫力だが、本来は五穀豊穣を司りその成長力を以て仏教を守護する神と言われる。愚生は講堂の中で眼を閉じ暫し瞑想することを好む。無論他の拝観者の迷惑にならぬ様気を付けねばならぬが、大勢の仏に鎮護された心地にて邪念を払い気持ちが休まる至福の時である。
今回は神社仏閣とは無縁の京都の見所を二つご紹介したい。先ず河井寛次郎記念館である。一般に河井寛次郎は作陶家として知られるが、木彫や文筆活動にも優れた遺作が多い。木曽の民家を参考に河井が設計した自宅兼仕事場が、略其のまま記念館として保存されている。国立博物館や三十三間堂に近い立地だが、邸内に立派な登り窯が設えてあるのには驚かされた。骨太の杉材を使用した頑丈な建物で、当時としては斬新な意匠であったに違いない。1F/2Fの吹抜け構造などは戸建て住宅の間取りを先取りした感さえ受ける。陶器も伝統的な食器や花器は少なく奇抜なデザインのオブジェが多い。特にオレンジを基調とした情念的な配色には驚かされる。話は変わるが記念館には人慣れした看板猫がいる。名前をエキちゃんと言う。岩合光昭氏の人気番組にも出演した営業ニャンで、その集客力たるや抜群らしい。もう一つ紹介したいのは、斜向いに在る食事処蘇谷(そこく)だ。甘味の看板に釣られて飛び込んだが、小豆あんこの味と店の佇まい、加えて女将の接客に感動した。本来は一汁三菜の朝食を提供する店なので、機会があれば再訪したい。京都が観光地として人気を集めるのは、良質な接客ソフトと無関係ではない様だ。
京都迎賓館は日本に二つしかない国立迎賓館の一つだ。和文化の象徴として建てられたもので、内部の調度品は選りすぐりの和の匠の手になるものが多い。全体に豪奢な印象はなく寧ろ地味でさえある。晩餐室たる桐の間には、報道等で屡々目にする一枚板の漆塗り長机が置いてある。日本人見学者の多くは、一頻り自国文化と技術の高邁さに感動するらしい。連綿として続く皇室崇拝と自画自賛型の国民性の所以かも知れぬが、果たして異文化の外国人賓客の眼にはどう映るか。物珍しさだけに終わらねば良いが。

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