山梨の温泉と果物そしてホウトウ鍋がお気に入りで、年に数回は愛車を駆って訪れます。笹子トンネルの崩落事故以来、何とは無しに足が遠のいていましたが、春の陽気に誘われ急に思い立って遠出することにしました。尤も事故現場を抜ける際には少なからず緊張し、複雑な思いもしましたが。
甲府駅から山梨大学のキャンパスに沿って緩やかに山麓を上ると、武田神社に到着します。甲陽軍鑑の一節、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」で知られた武田信玄の居所跡で、躑躅(つつじ)ヶ崎館とも呼ばれます。東西が284m、南北が193mの狭い敷地に三つの曲輪が建てられ、周囲は5メートル弱の土塁、更にその外側に水濠を廻らせただけの簡易な設えで、戦国武将の城館としては大凡不釣り合いな印象を受けます。
戦術的には、甲府盆地を見渡す丘陵を選び、前面には家臣団の住居や商人職人の町割りを配置し、右・左・後の三方は急峻な山で囲まれた自然の要害にて、近世平城の先駆をなすものと評されています。館の北方標高780mの積翠寺丸山には、要害城と呼ばれた詰の城(籠城用拠点)を築き、遥かに甲府盆地を囲む山々には数多の峰火台を設けるなど、地形を活かし領国全体を要塞化した備えになっています。
軍事力と経済力は不可分の関係にありますが、甲信地方には武田氏が開発した金鉱山が幾つもありました。農作に適さぬ山国で有りながら、多額の戦費を賄うだけの財力に恵まれて居た様です。
江戸中期に編纂された甲陽軍鑑は、美化・誇張の多い資料と言われています。信玄が口にしたとされる一節ですが、一国を支配するに当り人の信頼関係を主軸とし、守りの要たる城や装備には然程重きを置かぬとの安易な戦略や信条ではなかった様に思われます。
要害城の山麓に、信玄の隠れ湯として知られる積翠寺温泉があります。全国に80か所あるパワースポットの一つですが、泉質は黄褐色の弱アルカリ泉、筋肉痛や冷え性に効能があると言われています。川中島の合戦で負傷した兵士がここで療養したとの史実が残されています。露天風呂からは宝石を散りばめた様な、甲府市街の夜景を一望することができます。
最後にホウトウ鍋です。南瓜と山菜だけのシンプルなものも美味いのですが、少し物足りない向きには牡蠣や鴨肉入りホウトウがお薦めです。メニューの中には珍しい水団汁もあります。遥か昔の幼年期に母親が作って呉れた記憶がありますが、食糧事情が良くなかった頃の料理です。いま口に合うかどうかは分かりませんが、次回チャレンジしたいと思います。