京都での国宝展見物の中日に、ふと思い立ち滋賀まで足を延ばした。近江八幡は琵琶湖東岸に位置する古くからの商都である。映画の撮影にも度々登場する八幡掘り界隈には、大規模な商家が連なり、伝統的建造物保存地区に指定されている。こう書くと古色蒼然とした景観を連想されるだろうが、実際は今も多くの建築物が有効活用され賑わっている。古いが故に差別化され、却って人気がある様だ。中には朽ちかけた家もあるが、太宗は丁寧に維持管理され、食事処や物販店・公共施設として利用されている。飛騨高山に似通った町並みだ。写真の紅ガラ格子の目を引く建物だが、実は内科のクリニックである。
滋賀には安土桃山時代の城址が幾つか存在する。市の北部には彼の安土城址がある。火災で消失し廃城となったが、本能寺の変の直後に明智の兵により焼打ちされたとの史実はないらしい。標高200M足らずの小山である。然程のことはなかろうと高を括り登ったが、これが結構きつかった。墓石を徴用した石段が随所にあるが、小心者には土足で跨ぐのさえ憚られる。信長の宗教観が垣間見える様で、かなり違和感がある。山頂には堅牢な石垣や天守閣の遺構があり、往時の縁を偲ばせる。宣教師ルイスフロイスは著書「日本史」で天守に就いてこう記述した。
”天守は七層からなり、階層毎に色が分れている。或る階層は紅く或る階層は青で、最上階は金色だ。白壁には黒い漆塗りの窓が配され、気品があり壮大な建築である。内部は色彩豊かに描かれた肖像画が、四方の壁面を覆い尽くしている。”
城内には内裏の清涼殿を模した本丸御殿が有り、信長と家族は此処で生活したと言われる。近世城郭の範となった絢爛豪華な建築物であったらしいが、今や強者どもが夢の跡で儚く物悲しい。
市の西部には八幡城址がある。豊臣秀次が論功行賞により近江43万石を拝領し築城したもので、山麓の武家居住区には琵琶湖から水を引き八幡掘りを巡らした。防御と同時に水運物流の要として機能し、後々の商都興隆の礎となる。安土城下の受け皿として碁盤目状に整備した城下町を造り、職人毎に区域割を定め、楽市楽座を設けるなどして産業振興を計った。残念ながら秀次は謀反の疑いを懸けられ、高野山で切腹を余儀なくされたため、八幡城も築城後僅か10年で廃城となる。
秀次の首は三条河原に晒され眷族も悉く処刑された。敗者の常として、生前の精神耗弱や女狂いなど悪行の数々が論われるが、実は歴史学者にも真偽の程は分らない様だ。然しながら近江八幡では、中興の祖として豊臣秀次公と尊称され崇められている。
近江八幡のグルメだが、カネ吉山本本店(ティファニー)のすき焼きと種やの甘味に挑戦した。すき焼きは奮発して特選近江牛、広い個室に仲居さん付で、窮乏税理士夫婦には束の間の殿様気分。コレステロールや血糖値もお構いなしに卵と白米の御代り、大満足である。
たねやは和菓子の老舗で、東京にもCLUB HARIEの名で出ている人気店。茶店では元乙女の一団が、末廣饅頭とお茶で賑やかにお喋りに興じている。皆さん芸人でも十分喰っていける程の実力。小職は栗しるこを頼んだが、小豆の汁に栗が1~2個のイメージとは大違い。贅沢にも濃厚な栗粉の汁で、道理で値段が張る訳だと妙に納得した次第。